モノかヒトか、いやモノもヒトも

毎日のように寝て起きて、当たり前のように動いている。ベルトや靴紐を見るたびに、人がより動きやすくなる為にある物だなと思う。現代にベルトと靴紐が無かったらかなり不便だと直感的に思う。靴は脱げるし、ズボンは下がるし。現代ではベルトや靴紐みたいに、その物が無いと生活に困るような物って、もう生まれにくいのかなと思う。ただその嗜好品があったら実は暮らしはこんなに便利(豊か)になるって事はまだまだありそうな気もする。モノの便利さ、ヒトの豊かさどっちかではなく、どっちも必要だよなぁ。

継続は力なりー

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

継続する事はとても難しい。知識は継続しないと記憶からすぐ忘れられていく。スポーツでも継続して身体に覚え込ませないと、できなくなってしまう。いずれもそれ故に継続は力なりという教えは継続を促す理由として最もなように感じる。確かに記憶定着化や行動習慣化は「継続」のおかげだと思う。では自堕落な自分が何故継続なんてしているのかと、理由を考えてみる。継続する事全般について言えるのは、何かのきっかけによって、つい反芻していたり、どうしても振り返らずにはいられなくなって、いつまでも考え続けている、ということではないかと思う。だからこそ自分は継続を繰り返す。人によってきっかけは様々だと思う。多くの情報に溢れるきっかけ作りに恵まれた現代においては、きっかけ以上に、むしろ「いつまでも考え続けている」という過程が継続する事には必要だということをもう少し考えながら暮らしたいと思う。

大移動は当たり前か有難いことか

今週のお題「大移動」

国内外での人流の動きが少しずつ戻ってきたように感じる。好きなだけ行きたい場所に行けないとかやりたい事を思い通りにできない不便さを物凄く感じたし、元の生活に戻れる事は、とても有難い事だとも気付いた。ただ不便さや有難みを考える事は、経済的にも思想的にも大切な営みだと考えるけど、出来る事を当たり前の基準にしながら生きているという問題に何より直面したような気もする。

ほろ苦い思い出は変える?変えない?

今週のお題「ほろ苦い思い出」

初めて友達にセッティングしてもらった合コンに参加した時のこと。これまでにあれほど会話の間を埋める為だけに話した記憶はない。初合コンを迎えるにあたって、初対面の人同士でも必ず会話をしなくてはいけない場という強迫観念に駆られていた自分は、その時点で既に良い交流会になるイメージは持ててはいなかった。今でこそ以前より割り切れるようになったあのシーンという沈黙時間。いつ何に刷り込まれてあんなに良くない、いけないこと事だと思い込んでいたのか。そして割り切れるよう努める今でも、シーンってさせない会話上手な人達を見ると憧れる自分もまたそこにいる。自分らしく居られるのはシーンを認めてあげる自分だが、なりたい自分はまた別にいる。これまた不思議だなと思う。

初恋ってどうして

何年かぶりにたまたまバスで出会った初恋の人に声を掛けられなかった。あの時声を掛けていればとも思うけど、あの時声を掛けない選択をしたのも自分。偶然に知り合いと出くわすことはあるし、声を掛けないこともしょっちゅう。でも初恋の人にはどうしてあの時こうすればをこんなに考えてしまうのだろう。特別な思い出としていつまでも刻んでいる自分自身に不思議な気もする。

 

 

 

 

 

もっとあなたが頑張ればいい

今週のお題「ほろ苦い思い出」

タイトルの言葉、一度は誰かに言ったことあるし、言われたこともある。こんな体の良い言葉だけしか持ち合わせていなかった自分にも相手にも、今となってはほろ苦い思い出だったと言えるようになりたいなと思う。